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help リーダーに追加 RSS 正義と公正(3)

<<   作成日時 : 2008/01/21 10:48   >>

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正義と公正(3)
NPO法人IAIジャパン 理事長 八幡惠介
鈴木さんからのコメントの続きです。
民族、文化、宗教を超えて世界中の人々が共通に語り合えるのが論理である、という考え方を取っている団体があります。国際ロータリーは世界120カ国以上に広がっており、その考え方に共鳴する人たち(ロータリアン)が集まって各地にロータリークラブを作っています。この団体はある理念を共有し、詳細にわたった内部統制の規則を作っています。その中の一つが論理的規範です。ロータリアンにはキリスト教徒でもイスラム教徒でも仏教徒でもなれます。日曜日に集会があるときはInter-religious Meetingを行い、世界の六大宗教の代表が壇上でそれぞれの経典を朗読する、という礼拝形式をとります。因みに神道は入りません。
話が脱線しましたが、論理が世界に通用する規範であるかどうかの議論ではなく、日本には独自の規範があるとの鈴木さんの考えには反対できません。しかし、それはどのように説明しても世界に通用させる客観性がなく、日本の中でも世代を超えて共有されているとは思えません。日本の文化として存続するかどうかも疑問があります。日本人が外国の文化と接する機会が増え、恥の文化を受け継ぐ人たちが減ってきたのかもしれません。アメリカの民主主義文化を世界のデファクトにするという戦略も危うくなったようです。
以下鈴木さんの文です。

次に話が前後しますが、論理的思考を妨げていると思われる日本の“恥の文化”を八幡さんは指摘されております。“恥の文化”という言葉は米国の文化人類学者であるベネディクトが戦後間もない頃その著書“菊と刀”のなかで使った有名な言葉として記憶しております。大分昔読んだ本なので記憶が定かでありませんが、日本文化の特殊性を西欧人には極めて不可解な“恥の文化”であるとし、西欧人の“罪の文化”と対比させて分析したものであると理解しております。恥とは何か、西欧人にはなかなか分かり難いが、一方罪の文化の罪とは一体何か、日本人には分かり難いところです。私の浅学な知識ではこれはキリスト教でいう神に対する罪のことと思われます。

子供の頃親からよくみっともないまねをするな、恥ずかしいことをするなとかいわれたものです。それが何をさすのかは普段の躾けのなかで自然に体得させられていったという思いがあります。確かにこの言葉は論理的に考えるとよく分からなくなります。良い、悪い、の絶対的な基準がありません。しかし何となく皆が互いに分かり合い納得している倫理観といったらいいでしょうか。周囲の人がどう思うかということがこの恥という言葉のよりどころとなります。であればこの価値基準は相対的なものであり、状況に応じて変化していくことになります。絶対的価値基準を持った罪の文化圏の人には全く不可解なものということになります。

こう考えていくと正義感とか、公平感ということはそれぞれの民族特有の文化、あるいは宗教の中から生まれた倫理観であろうと思います。ということは文化、宗教が違えば正義感、公平感の基準も違うということになります。例えば西欧で生まれた格闘技であるボクシング、レスリングなどは重量別に競いますが、体の大きな者と小さな者が戦うことはアンフェアーであるという考え方でしょう。同じ格闘技である相撲には重量の区別がありません。それがフェアーでないという考え方は日本人には古来ありません。小が大を制するところに喜びと感動が与えられるという感覚があります。しかしもし相撲を国際競技にするとしたら柔道と同様に重量制にせざるを得ないでしょう。又、自由と民主主義という価値観は欧米近代国家の理念になっていますが、世界的にはその価値観を共有していない国の方が多いように思われます。中近東、アフリカ、中国、インド、ロシアなどの諸国にとっては歴史、文化、伝統、あるいは宗教的にその価値観には、程度の差はあれ馴染み難いものがありそうです。欧米がその価値観を絶対的な正義として全面的に押し付けることには無理がるようです。米国のイラク問題の対応がうまくいかないのもそれが一つの原因でしょう。

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