リテラシー
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作成日時 : 2008/02/14 23:43
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リテラシー
NPO法人IAIジャパン 理事長 八幡惠介
識字率という言葉は字が読めるかどうか、という意味に使われ、転用は余りしません。リテラシーは文字に対するリテラシーが原意ですが、その前にITをつければ、ITに対する知識を持たない、という意味に使われます。そのためか最近はカタカナ英語となって日本語に入り込んでいます。国内で識字率といえば日本人は100%識字能力を持っています。しかし、世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識、といわれるように、特定のことへの関心はきわめて低い場合があります。たとえば、倫理観を例にとります。最近の企業不祥事では倫理観の不足、あるいは不徹底が生んだ例が多いことに気づきます。これは倫理リテラシーの不足または欠如といえるでしょう。また、子供達の教育を考えると、文字は読めても真理の探究、科学への興味など、人間として当然持っているはずのことに、無関心である場合が余りにも多く見られます。これはリテラシーの問題であるといえないでしょうか。
学問は真理の探究です。自然科学に対する興味はそのために不可欠といえます。教育の場が学問ではなく、知識の習得に偏った結果、数学や物理化学などが難しい科目とされ、生徒から敬遠される結果となり、その分野でのレベルは先進国では最低、多くの発展途上国にも及ばないという現状になっています。数学リテラシーの不足は論理に疎い結果を生みやすく、物理化学リテラシー低下は自然科学への道を自ら閉ざしてしまいます。そのような学生が社会に出ることを予想するだけでもぞっとします。これらの基礎学問は当然小学校から高校の間に履修していなければなりません。大学に入って気づいても遅いのです。このことから日本でもリテラシーの問題が存在しているにもかかわらず、識字率というと問題意識を持つ人は少ないのです。
国際ロータリーではロータリアンに識字率の低い国での寺子屋運動を奨励していますが、日本ではあまり関心をよんではいません。ロータリアンは外国の問題として取り組んでいます。しかし、現実は識字率よりもっと深刻な問題が存在しているのです。教育を学校と塾に任せた結果、生徒が真理の探究には無関心となり、便利なITの知識に偏った傾向が出始めているのは憂慮すべきことです。必要な知識はウェブから得られる、との誤った考えを持ってはいないでしょうか。ウェブから得られる知識を苦労して勉強する必要はない、との考えがあるとしたら、日本の未来は暗いといわざるを得ません。コンピュータやインタネットの仕組みを作ったのは人間の技術です。技術は使うものである以前に作り出すものです。出来上がったものを使い果たしたら、その先はありません。今の子供たちは先人の遺産を使い尽くしてしまう方向に走っている、と憂慮するのは杞憂でしょうか。子供たちに数学や、自然科学に興味を持たせるのは学校教育だけではなく、家庭での3歳までの育て方にかかっている、と言ったら過言でしょうか。幼児の柔軟な脳に科学への興味の元が刻み込まれていなければ、学齢以降に期待することは無理かもしれません。
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