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国際社会の認知 NPO法人IAIジャパン 理事長 八幡惠介 数年前、日本が国連の安全保障理事会常任理事国に入る努力がなされました。また、一昔前になりますが、日本の繁栄に国際社会がジャパンバッシングで日本叩きした時期がありました。いずれも日本が国家として、その強みを認められた結果といえるでしょう。バッシングからパッシング(頭越し)となり、今は無視される(語呂合わせすればナッシング)時代です。明治維新以来、日本が先進国から注目された時期は多々あります。しかし、実力が認められたのは一度あるかないかだと思います。戦後の復興が世界にない速度で行われたことは証明された歴史といえるでしょう。それ以外の注目は実像ではなく、虚像に向けてのものだった、といえなくありません。東洋の小国が地図の上では、あるかないかの小さい存在にもかかわらず、世界を相手に戦ったこと、完膚なきまでに破壊されても、なお短期間に復興を遂げたこと、などは驚嘆に値することでした。なぜそれが可能であったのか、我々自身今にして思うと、ただがむしゃらに働いた結果、としか言いようがありません。当時は国の政策や、企業の戦略で高成長を遂げた、と思っていましたが、それを可能にした力の源泉はヒト以外何も残っていない、というハングリー精神ではなかったでしょうか。しかも、それらのヒトは戦前の教育を受けた人たちでした。戦前の教育を賛美する気は毛頭ありませんが、現代の教育より骨太であったことは間違いありません。 翻って現代を俯瞰して見ると、文明に支えられたインフラが整い、清潔ですべてが人工的に加工された環境の中にヒトは生活しています。このような環境ではハングリー精神は育つわけもなく、汚いものは排除し、危険を避け、危ないことには近寄らない、という逃げの精神が横溢しています。先進諸国でこのような環境の国はあるでしょうか。発展途上国には無論ありません。日本は世界の中でも特殊な環境の国のようです。それが世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識、というねじれの現象を生んだのでしょう。これでは世界が日本を無視するのは当然です。日本が生み出す文明の利器はクルマであれ、電子機器であれ、品質は世界最高で、コストは最低です。世界は日本の生み出すハードウェアには瞠目しますが、それを生み出す日本人は理解できていません。いまだに東洋のミステリーの域を出ていない、といえないでしょうか。 国際社会で認められるためには、国際舞台でリーダーシップを発揮できる人材が数多く輩出される必要があります。そのようなリーダーシップを育てる機関は余り多くありません。大学にリーダーシップ専門の部門を設けた例も聞きますが、国際ロータリーのように長い間、青少年のリーダーシップ育成に関心を持った団体もあり、これらのプログラムを経験した人材が、地域社会で活動し、認められ、世界に出て行く日が待ち望まれます。このような人材を世界に通用するよう育成することは、社会の責任でもあります。出る杭を打つのではなく、出た杭を世界に押し出し、波にもまれる機会を作ることが求められます。日本の中だけで通用する人材ではなく、むしろそこで異色の存在を認めることが世界に通用する人材を育成することにつながるのです。それには古い観念を捨て、新しい仕組みを作ってそのような人材を受け入れることが必要でしょう。オバマ候補ではありませんが、“Change”がキーワードです。 |
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私は昭和42年生れの40歳ですが、私が就職活動の時にはバブルの全盛期で、面接の時には交通費という名のお小遣いをくれるのは普通でした。そして内定の学生を囲い込むために、企業側からハワイ旅行や銀座で豪遊といった接待をしてくれるというムチャクチャな時代でした。 |
おぷる 2008/03/09 13:42 |
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