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<<   作成日時 : 2008/04/05 09:43   >>

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武士道と死生観
NPO法人IAIジャパン 理事長 八幡惠介
武士道の美しさは限られた人たちだけに伝えられ、若者のほとんどは縁のない世界の話、と思っているでしょう。
「武士は食わねど高楊枝」という言い回しも飽食の時代には死語となりました。
「潔い」という言葉も使われる場面を失いつつあります。
武士の美学は江戸時代に完成されたものと思われますが、それは戦のない世界になってからの話ですから、武士道との関わりで作られたもので、剣術の強弱とは関係ないのでしょう。「武士」のイメージは

 居住まいが正しい
 進退の最期は潔く
 物事に動じない
 欲を表に出さない

など、どれを取っても人間本来の姿と違って、鍛錬の賜物といえます。このような鍛錬を積んだ人物は江戸時代にも稀だったのではないでしょうか。武士道の源流は儒教にあると思いますが、儒教は人間の本性を醜いものとみなし、それは正すべきだ、と教えます。

武士道でいう潔さの極限は切腹です。言い訳をせず、黙って死んで行く、という美学だけは今日でも生きていて、不祥事の開示を妨げる場合も少なくありません。武士道の死生観は必ずしも正しくない場合があります。自分が引き起こした不祥事を隠蔽する、上役の不祥事を庇う、などのために自殺するのは潔いとは言えないでしょう。

生きる、ということが簡単でないことは、最近の多くの事件で感じさせられることです。自分の欲のためだけに行動する、生きる目的がわからなくて殺人事件を起こす、生活に困窮して家族と無理心中する、などはそれに当たります。日本の教育のなかで、命の大切さは教えますが、自分の命、すなわち生きるということについては、教え方もわかっていない、というのが実態でしょう。また、それは教えるべきことではなく、自ら考えて自分で答えを見つけなければならないこと、ではないでしょうか。それには生きることについて考えるきっかけが必要です。

ゴーギャンの「われわれはどこから来て、どこへ行くのか」、という油絵はヒトの誰もが持つ疑問を表したものでしょう。ヒトがこの疑問を持たなくなったとき、ヒトの存在意義はなくなった、といっても過言ではないと思います。その疑問を持たずに死んで行く人たちは大変不幸です。対戦ゲームや劇画から死生観を学ぶ世代が持つ疑問は、考える前に行動することで答えられているように見えます。大人はそのような子供にどう向き合うのか、大人も考えていないのかもしれません。

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